離島の宿命を背負い
──近くてはるかなる東京に学んだ高校時代──

 私の住む神津島は伊豆七島の中央に位置し東京から南へ180キロ、エメラルドブルーの澄み切った海に浮かぶ周囲22kmの漁業と観光の島である。私の青春時代、島には高校がなかった。財もなく向学心に燃える者は東京か名古屋の4年制の定時制高校へ進み昼は 働き夜は勉強と自力でやるしかなかった。
 私もその一人である。上京して四年間、私は二足のワラジを過ごしたわけだが、あまり 良い思い出は残っていない。寝不足と疲れで何度学校をやめようと思ったことか!! 卒業式には仕事のため出席できず、友人に卒業証書を届けてもらうという惨めさも 味わった。しかし、苦しい四年間ではあったが、今になると懐かしく思い出される。
 入学時150人いた仲間は卒業のころには半数になっていた。だがさらに上の大学へ行こうと頑張っていた者も多くいた。私の高校時代はいま流の青春を謳歌する時代ではなかったが、一生懸命生きた時代であった。
 はやらないかもしれないが、一生懸命という言葉が私は大好きである。いま島の暮らしは、当時の貧しさよりはいくらかましになっているが、まだまだ問題は山積している。またいまは地方の時代といわれ、町、島、村起こしが叫ばれている。私は島を豊かにしてくれた観光をより大きな産業として発展させるため、神津島のセールスマン として生きようと思っている。海水浴場の島から通年観光の島として多くの都会の人に 知ってもらえるよう足を棒にしようと思っている。
 今から20年前、私が中学生のころは夏でさえ訪れる人もなく、貧しく純朴な島でし た。いまではかなりサマ変わりして4000トン級の船も接岸し、夏には若者の島とし てにぎわい を見せてくれる。だが観光をもっと大きな産業として発展させるのが、 私の役目である と思っている。


中村武一
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